『湾生回家』ホァン・ミンチェン監督インタビュー (前編:ドキュメンタリーを撮るということ)
戦時期に台湾で生まれ育ち、戦争の終りと共に見知らぬ故郷・日本へ戻ることとなった「湾生」と呼ばれる人々を知っていますか―。故郷である台湾と祖国である日本という、二つのふるさとを持つ彼らは、何を思い、どう生きてきたのか。本作『湾生回家』はそんな彼らの存在に光をあてています。今回は、本作の監督であるホァン・ミンチェン監督に、本作や監督ご自身について、そしてドキュメンタリーというジャンルについてお話を伺いました。
(ホァン・ミンチェン監督)
なぜ映画監督に?監督としてのルーツを辿る
映画チア部・まな(以下まな):ホァン監督自身について質問です。ホァン監督は、何故映画監督になろうと思ったのでしょうか?
ホァン・ミンチェン監督(以下ホァン):いい質問です。原点に返るような気持ちなんですが、まず自分自身が映画が好きであったこと。それから、少年時代に自分が寂しかった時に映画が自分に付き添ってくれたこと。誰も助けてくれない辛い時に映画が僕の友達になってくれました。
まな:そこで、映画を「観る側」ではなく、「作る側」に回ろうと思ったきっかけなどはありますか?
ホァン:自分は、勉強に関してはものすごくできたわけではありません。映画を観て、一つの場面を切り取って(切り取った場面を場面)繋げていくと、自分にも何かができるのではないかと思いました。大学の時に撮影が好きになりました。撮影して、作品を作ると、何人もの方に褒めていただいて。それで、一つの達成感を得ることができました。それをまた続けていきたいと思ったんです。
各国の好きな映画監督・作品
まな:幼い映画頃から映画が好きだったということですが、幼い頃から現在までにどのような作品を好きになったり、影響を受けたりしましたか?
ホァン:それは本当に沢山ありますね(笑)フランスのリュック・ベッソン(*1)や、ヴィム・ヴェンダース(*2)、ラース・フォン・トリアー(*3)…。小津安二郎の『東京物語』、これも忘れることはできません。(同じく小津監督の)『生まれてはみたけれど』も。とても素晴らしい映画です。
まな:台湾にも素晴らしい作品がたくさんありますが、台湾の監督や作品についてはどうですか?
ホァン:初期のホウ・シャオシェン監督や、エドワード・ヤン、ツァイ・ミンリャン。コメディならチェン・ユーシュン。(同監督作の)『熱帯魚』(*4)は(ホァン監督が日本語で)「面白い、大好き!」あと『藍色夏恋』(*5)も好きですね。
まな:私も大好きな映画です。
ホァン:そうなんですね!また、台湾には素晴らしいドキュメンタリー作品もあります。
(*1)リュック・ベッソン フランス出身の映画監督。83年に長編第一作目『最後の戦い』を発表。この作品がアボリアッツ国際ファンタスティク映画祭で大きな話題になり有望な若手として注目を集めた。88年の『グレート・ブルー』で世界的にも注目される。代表作に『ニキータ』、『レオン』など。
(*2)ヴィム・ヴェンダース ドイツ出身の映画監督。ミュンヘン大学在学中に何本か短編映画を作り、卒業製作で『都会の夏』を発表。その後ニコラス・レイ監督のアシスタントを務め、『ゴールキーパーの不安』、『まわり道』などを発表。77年の『アメリカの友人』がヒットを収める84年の『パリ・テキサス』でロードムービーを代表する映像作家として評判となり、87年の『ベルリン・天使の詩』で独特の映像感覚を発揮した。
(*3)ラース・フォン・トリアー デンマーク出身の映画監督。ドキュメンタリー映画作家の伯父の影響で10代から映画を撮り始める。コペンハーゲン大学映画学科とデンマーク映画学校で学び、卒業後の84年『エレメント・オブ・クライム』で長編デビュー、カンヌ国際映画祭でフランス映画高等技術委員会賞を受賞した。同映画祭では96年に『奇跡の海』で審査員特別グランプリ、00年に『ダンサー・イン・ザ・ダーク』で最高賞パルムドールも受賞。その後の作品も軒並みカンヌで上映されている。95年、映画製作におけるルール『ドグマ95』を、映画作家トマス・ビンターベアらとともに提唱。
(*4)『熱帯魚』 誘拐された受験生の中学生と誘拐犯一家の奇妙な交流を描いたコメディ。テレビ畑出身であったチェン・ユーシュン監督は、本作で監督・脚本を務め映画デビュー。台湾を代表する監督のワン・トンが製作協力をするなど、強力なスタッフ陣が名を連ねている。
(*5)『藍色夏恋』 秘密を抱える女子高生と同級生の微妙な恋愛模様を描いた青春映画。監督・脚本はこれが2作目となるイー・ツーイェン。チェン・ボーリン、グイ・ルンメイという2大スターが本作で映画デビューを飾っている。
ドキュメンタリーが持つリアルな魅力
まな:台湾では戦争を知らない若い世代がこの作品のヒットを支えたそうですね。日本では、ドキュメンタリー映画は若い世代にとって一般的なものとは言えないように感じています。台湾ではドキュメンタリーというものは若い世代にとってどういったものなのですか?
ホァン:台湾の人は、若い人たちも、けっこうドキュメンタリーを観るのは好きですね。台湾はやはり、予算と数の関係で、ハリウッドの映画とは比較になりません。影響力という面では限界があります。そういう時に、チャンスがあるのがドキュメンタリーです。ハリウッドにいくらお金があっても、台湾のドキュメンタリーを作ることはできません。ドキュメンタリーの欠点というのは長所でもあって、脚本はないのでどのようになるかは分からないですが、出演してくれる人たちの考えによって良い方向へ進むこともあります。たくさんの映画があって映画業界は発展していくわけですが―ここでの発展というのは、お金が入って映画関係者が暮らしていけるということです(笑)―たくさん書いても少しのお金しか貰えないのであれば、やはり良い脚本というのは減ってしまうことになります。そういう時にドキュメンタリーがあれば、劇映画のこういった欠点を補うことができます。人の人生を掘り下げていけば、それが一番良い脚本になります。編集をうまくすればということですが。私の考えでは。もちろん、それが正確かどうかは分かりませんが。
肩に力の入っていない作品が作りたかったー
ドキュメンタリーを撮るということ
まな:次回作はコメディだとお聞きしています。
ホァン:そうですね。
まな:今回はドキュメンタリーというジャンルでしたが、ドキュメンタリーを撮るにあたって難しかったことはありますか?
ホァン:ドキュメンタリーには、決まった脚本というものがありませんし、彼ら(出演者に)どのようにしてほしいのかを伝えるのが難しいですね。ものすごく芸術的だとか、とても重いだとか、そういうドキュメンタリーは作りたくないと思いました。僕は、面白い、肩に力の入っていない作品が作りたかった。この作品の撮影中に、(出演者の一人である)冨永さんはたくさん冗談を仰っていて、それはすごく自分の意図と合っているように感じました。
まな:なるほど。
ホァン:自分は真面目で厳しいところもあるのですが、そんな自分を解放したい、そんな気持ちがあって次回作ではコメディに挑戦しています。自分から離れて、自分の真面目で厳しい部分を遠くから見ると、面白いんじゃないか、笑えるのではないかと思って。また、僕には今子どもがいるのですが、彼を笑わせたい、そういう風も思いました。
自分が台湾で大学院に居た頃、まず習ったのはドキュメンタリーの制作でした。けれど、自分は元々映画(フィクション)を制作したかったので…そうすると大学院側としては「お前は何をしに来たんだ」となるわけで、そういうところで少し葛藤はありましたね。自分が入学したときの作品もフィクションでした。でも、入学して勉強を進めていくうちに素晴らしいドキュメンタリー作品に出会って、ドキュメンタリーも素晴らしいなと思うようになりました。自分の先生の影響で日本のドキュメンタリー作品も観ました。原一男や、小川伸介の作品も。で、そんな風に(フィクションが作りたいという気持ちと)ドキュメンタリーを作らなくてはならないという葛藤のなかで、段々「端に置かれた人」の気持ちが分かるようになってきました。(出演者の一人である)家倉さんも、日本にもたくさん友達がいるけれど何かしっくりいかないというか、そういった感情を抱えています。一つのところにいてアイデンティティを感じることもあれば、逆のこともある。これがこの作品の中心思想になっていると思います。(まな)
(後編に続く→★)
作品情報 ■ 『湾生回家』(公式HP:http://wansei.com/index.html)
敗戦によって台湾から日本本土へ強制送還された日本人は、軍人・軍属を含め50万人近かったと言われています。彼らの多くにとって、台湾は仮の住まいの土地ではなく、一生涯を送るはずの土地でした。しかし残ることはできず、その願いはかないませんでした。そこで生まれ育った約20万人の「湾生」と言われる日本人にとって、台湾は紛れもなく大切な「故郷」でした。しかし、彼らは敗戦という歴史の転換によって故郷から引き裂かれ、未知の祖国・日本へ戻されたのです。『湾生回家』は、そんな「湾生」たちの望郷の念をすくい取った台湾のドキュメンタリー映画です。異境の地となってしまった故郷への里帰りの記録です。ホァン・ミンチェン監督をはじめ製作スタッフは、戦後70年という長い年月を経るなかで、かつて20万人と言われた「湾生」が高齢化して、「湾生」が忘れ去られようとしている現在、台湾の人々の心とまなざしで、彼らの人生を、引揚者の想いを記録しました。(公式HPより)
Profile ■ ホァン・ミンチェン
台湾のアカデミー賞といわれる金馬奨で、1998年に最優秀短編作品賞を受賞した『トゥー・ヤング』(第14回東京国際映画祭上映)で注目される。本作では、プロデューサーが同郷であった縁で監督に抜擢される。当初「湾生」を全く知らなかったが、「湾生」たちとの触れあいの中で、彼らの中に潜むドラマを発見し、「湾生」たちが戦後の混乱をどう生き延びたのか、 また、台湾でどんな生活を送り、台湾のことをどう思っているのか、「湾生」たちの孤独な心情に寄り添い、彼らの目線に立って本作を完成させた。
昨年、新作『傻瓜向錢衝』が台湾で公開され好評を博している。
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