『私は兵器』三間旭浩監督インタビュー

『螺旋銀河』や『Dressin Up』を世に送り出したCO2助成作品の勢いは止まらない。大阪アジアン映画祭のインディ・フォーラム部門で世界初上映を迎えた本作。人間の持つ暴力性をリアルに描き、現代社会の抱える問題を映し出すー。


そんな『私は兵器』の三間旭浩監督に映画チア部のこえたがインタビュー。本作の描く“暴力”について語ってもらった。


■とことん不快で、無様な暴力


映画チア部・こえた(以下、こえた) 『私は兵器』公式Facebookで監督の「不健全な、観た後も頭にこびりつくような映画を作りたかった」という趣旨のコメントを読んだのですが、実際に拝見して100%それが達成できているなと思いました。暴力の爽快感やカタルシスなどは一切なく、徹底的に暴力の不快さを描いていて


三間旭浩監督(以下、三間) 誰一人まともな人間が出てこないですよね(笑)


こえた 本当にその通りですよね(笑) それで本作を観終わった後に、ここまで徹底的に暴力の不快さを描くことに、何かためらいとかは無かったのかな?と思ったのですが


三間 むしろ、あんまり容赦ない方がこの映画のためになるだろうという感じでしたね。さっきも言われたようなカタルシスのある暴力映画じゃなくて、とことん不快で、やる方もやられる方もとことん無様な姿が描きたかったので。そこは容赦なくやりました


こえた なるほど。個人的に、ここまで不快な映画だったら撮影中とか編集の段階で気が滅入るんじゃないかと思ったんですが。あまりの悲惨さに


三間 当事者としてはそんなに滅入らなかったですね。編集の上で、思い入れのあるシーンを切らないといけないとか、そういう面では悩んだりはしましたけど。内容に関して気が滅入るっていうのは・・・あ、でもシナリオの段階ではありましたけどね


こえた これはちょっとキツイな、という?


三間 地獄のような感じだったので(笑) 編集の段階でも客観的な視点が欲しいと思って、知り合いの人に見てもらったりすると、終わった後にグッタリしてて。ブルーになってましたね(笑)


■「今あるところでベストを」


こえた 「あ、この監督自分のやりたいことやりきったんだな」と観客として観てて思ったのですが、三間監督自身はやりきった感というのはありますか?


三間 そうですね。まあ、実を言うともうちょっと暴力的なものを盛り込みたいっていうのはあったんですけど、予算的な問題もありつつ。でも今あるところでベストを尽くそうってことで。その中で自分の納得のいくものが出来たって感じですかね


こえた 確かに、本作の中で描かれる暴力って殴るとか蹴るとか包丁で刺すとか、とても原始的でバリエーションが無いから、本当にリアルだし観ていて「ああ、嫌だなあ」って思いました。もちろんいい意味で


■「自分は正しいと思ってやってるはずなのに、他人にとっては不快な物でしかないというジレンマ」


こえた 話が少し変わるのですが、映画に出てくる「代弁者たち」という存在を見て、『デスノート』とか『地獄少女』とかを思い出したんですが


三間 それは(CO2事務局長の)富岡さんにも言われました(笑)「デスノートやないか!」って


こえた いつか「俺が神になる!」とか言い出すんじゃないかって(笑)


三間  全然意識はしてないんですけどね。ああいう人って何か、超越しそうっていうんですかね、自分の中で正しいと思ったことはやってもいいんだっていうか。『罪と罰』みたいな小説じゃないですけど、全然社会的に役に立たない人からは金奪っていいんだ、みたいなのはあって。でも、今そういう人がテロリストとか、そ ういう思想の中で生きてるなあってのはあって。ただ、それってバックグラウンドはあって、ただただ快楽のためだけに暴力に走ってるわけではない。例えば服 を脱いだら傷があった、みたいなそういうバックグラウンドを想起させるシーンを作って、そこに至るまでのものって、ただただ快楽だけでやってるわけじゃな いよなって。色んな社会的な混沌とした物があるんじゃないかな、と


こえた 快楽っていう所で言うと、例えば『時計じかけのオ レンジ』の主人公アレックスとかは楽しそうに暴力をふるって、暴力で快楽を得てると思うんですね。『私は兵器』で描かれる暴力ってやってる方も楽しそうじゃないし、もちろんやられる方も楽しくない。快楽を得られるわけじゃないのに本能で暴力を振るってしまう人間というのは、三間監督の考えなんでしょうか?


三間 そうですね。最後に「守らなければならないのに暴力を振るわなければならない」っていう状況が出てくるじゃないですか。自分が正しいと思ってるものが実は誰かにとっては悪であって、っていう価値観の相違みたいなものと暴力ってすごく密接に繋がってる気がして。自分は正しいと思ってやってるはずなのに他人にとってはただただ不快な物でしかない、っていうジレンマを描きたかったというのはありますね


■「観終わった後2,3日引きずる映画を撮りたかった」


こえた この映画は観終わった後に多くの観客がぐったりすると思いますが、監督のなかで観客にこう感じてほしいとか、そういうのはありますか?


三間 僕自身が頭の中にこびりつくような、観終わった後2、3日引きずるような映画を撮りたかったので、そういう映画になればいいなと思って作りました。実際に銃とか、もうちょっとカッコよく暴力を見せるという選択肢もあったと思うんですけど、初めから肉弾戦というか


こえた ちょっと泥臭いような


三間 そうですね。泥臭いものを絶対にやりたいとは思ってて。暴力という物は、人間の本質的な物に根付いてて、絶対にあるものなので。それを脱ぎ捨てられない悲しさっていうか。そういうものをカッコよくではなく泥臭く描きたかったっていうのはあったので。むき出しの状態になったものを描きたいというのがありまして。だから主人公の望都だけが特別、というわけではないですね。『私は兵器』の「私」っていう主語が、望都だけじゃなく他の人たちにも当てはまるというか。誰でもなり得るというか。そういう意味もありますね


『私は兵器』公式Facebookは コチラ


Profile

三間旭浩

1985年京都府生まれ。京都造形芸術大学映像舞台芸術科在学中に制作した『消え失せる骨』(08)がイメージフォーラム・フェスティバル2009で優秀賞を受賞。その後、東京藝術大学大学院映像研究科に進学。同大学修了制作の『ユートピアサウンズ』(12)は2013年に開催された第8回大阪アジアン映画祭などで上映された。


(文字起こし こえた)(記事編集・リード文 まな)

映画チア部

神戸・元町映画館を拠点に関西のミニシアターの魅力を伝えるべく結成された、学生による学生のための映画宣伝隊。